
信長と道三
織田信長がこの年に家中が真っ二つに分かれていたのを、見事に一つに纏めて、団結力も増して
一段落付いたので、信長は舅の斉藤道三に逢うことに決めた。三河から今川義元の圧力が強まって
来たので、この際、道三と強く団結する必要があった。この道三も油断出来る人物ではなかった。
隙があれば娘(濃姫)の婿の首を取るつもりでいた。ところが、信長は斉藤道三の最初の対面の時に
完全に圧倒してのけた。両者の会見の場所は富田の正徳寺であった。
その時の服装が奇抜で虎と豹の革を四つ替りに縫った半袴、腰の廻りに火打ち袋、瓢、焼米やら
いっぱいぶら下げて帯は縄おび、着物は浴衣ぞめのかたびらで、片肌ぬきで、見学した人は度肝を
抜かれた。しかし、会見の場では、正装で来たものだから、二度びっくりした。
おまけに鉄砲100挺、三間の朱塗りの長槍500本を従えて来たから、道三は手も足も出なかった。この時代には
鉄砲1挺手に入れるのにどれ程の苦心があったことか、道三はよく知っていた。それをこの小僧は(信長)
苦労もなく簡単に手に入れた顔をしている。道三は近い将来に自分の国も(美濃)信長に
取られるような戦慄を覚えた。世間では「たわけ」「うつけ」等と言っているが、この信長と張り合う
武将はいまい.....。
後に道三は、しみじみと述懐していた。「わしの馬鹿息子達の中に信長のような人物が居てくれたら、
安心して任せられたのに。」と
程なくこの道三は息子の斉藤義龍と愛妾を奪い合い、鷺山城と稲葉城に分かれて険悪な空気が漂っていた。
この道三は敗れて長良川の露と消えた。
この信長と道三の事について、もう少しくわしく、書きます。(信長と宗教)です。