
信長の幼少
この織田信長と言う人物は、人から見れば破天荒の人物である。
いつも家来には犬千代(後の前田利家)を引き連れて、馬に乗って今日は東、明日は西。
尾張の国中を駆け回っていた。この遠出で地理、地形、人物の心理、物価、通行量、その他の
他の武将達が知らないことまで知っていた。
ある時は村の若い者を集めて相撲を始めたり、この時の相撲の連中達が後の信長の旗本(直属の旗下)
に入ったと見るのが正解でしょう。心が通い逢ったと言うか。皆進んで家来になった。
又ある日は熱田の竹千代が捕虜で監禁されている所まで来て、竹千代と話しをしたり、
又今度は阿久比の方へ行って久松家に寄ったり、刈谷城へ行ったりと忙しく飛び回っていた。
美濃の斉藤道三の娘(濃姫)を娶った時である。美濃と尾張の境の寺で会見した時、斉藤道三は
うつけの信長を討ち取る算段をしていたが、会見を見て吃驚した。この時道三は、どんなことをしても
この信長を討ち取れないと知る。それ程、力に差があった。この事は後で詳しく書くことにして、
ちょうど、この時点で(日吉丸)秀吉に尾張の町で出会っていた。駿府の今川義元が戦を仕掛けてくる
2年ぐらい前である。日吉丸に岡崎方面の偵察及び斥候等を命じていた。
仕掛けてくる正確な時期を調べさせた。阿久比に後妻で嫁いでいる於大の方を熱田まで呼んで、竹千代と
逢わせたりもした。この時にも、無言で竹千代に「逆らうなよ」と於大の前で威圧をかけた。
於大にもこの信長の威圧が感じ取れたのか、後の徳川家康に「逆らわないように」と忠告した。
馬鹿だ、うつけだ、と陰で言われていたけど、竹千代も犬千代も秀吉も於大の方も斉藤道三も知っていた。
これ程の頭がきれる人物を見たことがないと思っていた。最後の最後まで今川義元がそれを知らなかった。
相撲仲間の家来達に毎日毎日、槍、鉄砲の訓練をさせていたのを誰も知らなかった。
しかし、この時点では吹けば飛ぶような人数(約3000人)足らずの人数しか居なかった。
尾張の周辺には駿府の今川氏、甲斐の武田氏、越後の上杉氏、美濃の斉藤氏等周りには、強豪ばかりが
控えている。家督を継いで間もない信長には、国内に不穏な動きがあることも承知で、一つ一つ片づけていった。
信長に反逆を企てた兄弟は弟信行だけではなかった。信長の庶兄の信広は美濃の斉藤義竜と召し合わせて、戦った。
まず、美濃の義竜の軍勢が尾張へ進攻する。これを信長は清洲城から出て迎撃する。信長の援軍と見せかけて
その空いた清洲城に入り、留守部隊を壊滅して清洲城を乗っ取る。これで信長は帰るべき城を失う。最後の詰めは
義竜軍と信広の軍勢で挟撃する作戦に出た。しかし、信長は義竜軍の動静に不審を抱いた信長に見透かされる。
信長は留守部隊に「清洲城には誰も入れるな」と命じ、義竜軍を迎撃した。完全に裏をかいた。