太宰府からお田鶴が訪ねて来た。三条卿からの密使を帯びていた。翌朝京へ旅立った。
龍馬も越前福井へ旅だった。福井の殿様に会い三岡のことを頼んだ。龍馬と三岡との会談は朝8時から夜9時まで
続いた。翌朝龍馬は京へ発った。京へ着いても龍馬は休む暇もなかった。
龍馬が福井を発って10日あまり発った頃、家老の岡部豊後が閉門中の三岡邸に来て、所見を聞きたいと行って
来た。三岡はそこで龍馬から聞いた諸情勢を伝え、龍馬の新国家の理想を説明し、さらに、今後越前藩がとるべき
道を説いた。これ程、時代は動いていた。京に居る龍馬の所に伊藤と言う人物が訪ねて来た。
元千葉道場で一緒に汗を流した仲である。その後新撰組に入って2年ぐらい新撰組の副総裁を務めたが、時勢の
変化に応じて仲間を引き連れて脱退した。後薩摩藩に養われていた。この伊藤が龍馬に、新撰組が全力を挙げて
追っているので藩邸に入るように勧めに来た。しかし、龍馬はこの男を信用しなかった。自分の意志をコロコロ変え
る男は信用できない。伊藤は帰っていった。龍馬と中岡慎太郎が相変わらず会議をしている。
龍馬と中岡慎太郎が死ぬ日は慶応3年11月15日の夜である。たまたま龍馬は風邪を引いていて、熱が高く、
土蔵で寝ていた。この土蔵の中で、対応すれば事はなかったろう。でも龍馬は土蔵の中は熱くさいからと母屋の
2階で合った。2階の奥8畳の部屋で中岡と対座した。手代の藤吉は2つ離れた部屋にいる。
夜9時過ぎ、数人の刺客が近江屋の軒下に立った。幕府の見廻組組頭佐々木唯三郎が指揮する6人であった。
佐々木は一人で土間に入り、2階へ大声で来客を告げた。藤吉は降りてきて、龍馬と懇意だから合わせろと言って
来たので、2階へ上がっていった。そのすぐ後を佐々木、今井信郎、渡辺一郎、高橋安次郎が藤吉が階段を上った
所で背中を真二つに斬り下げた。
藤吉は叫び、助けを求めた。龍馬は中岡と一枚の紙を取り出して、見ていた。そこへ、いきなり4人が入って
来た。一人は龍馬の前頭部を一人は中岡の後頭部を斬撃した。この初太刀が、龍馬の致命傷になった。撃たれてから、
龍馬は事態を知った。が、平素剣を軽蔑し、不用心でいる。この為、手元に刀がなかった。刀は床の間にある。
それをとろうとした。脳瀟が流れていた。
龍馬の体力は、残っている。床の間の陸奥守吉行を取ろうとし、すばやく背後へ身をひねった。この一動作を
刺客は見逃さない。龍馬が左手で刀の鞘を掴んだとき、さらに、二の太刀を加えた。左肩さきから左背骨にかけて、
骨を断つ斬撃を龍馬は受けた。龍馬は跳ね上がるように立ち上がった。同時に刀を鞘ぐるみのまま、左手でつかを
握り、右手で鞘を掴み、鞘を上へ払いとばそうとしたが、敵の三の太刀はさらに、それを、許さない。もっと激しく
斬撃してきた。
龍馬は刀を抜くゆとりもなく、鞘ぐるみでその三の太刀を受けた。火が散り、鉄が飛んだ。敵の斬撃のすさまじさ
は、龍馬の太刀打の部分から20センチばかり鞘を割り、中身の刀身を10センチばかり削ったことであった。
敵の太刀は流れ、流れて龍馬の前額部をさらに深く薙ぎ斬った。龍馬はようやく、崩れた。龍馬は、まだ息があった。
敵は死んだと思って引き上げた。龍馬は中岡に声をかけた。
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