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坂本龍馬..No13

この草案を持って京に入ったら、容堂が土佐に帰ったと言う。すぐに後藤を土佐へ帰らせ て、容堂に面会させた。容堂もこの草案に大賛成した。龍馬は将軍慶喜に会う前に、京の寺田屋に向かった。 お登勢が飛び出してきた。

 翌日、薩摩藩へ行って西郷隆盛と会見して、隆盛は出来るはずがないと言った。西郷は武力討伐主義であった。 龍馬が入京した翌日、中岡慎太郎が戻ってきた。この頃の京では、幕府佐幕派の会津藩、桑名藩、新撰組、 見廻組など、龍馬にとっては、窮屈である。

 中岡は龍馬に武力討伐がもうすぐ始まるから、その案を待ってくれと言ったが、話しを龍馬から聞いてる内に 龍馬の案に賛成した。次の日から中岡は薩摩藩、長州藩等を説得に廻った。これで薩長土の連合同盟が出来た。 中岡慎太郎の計らいで土佐藩直属の陸援隊が出来た。隊長には中岡慎太郎がなった。土佐藩の第二藩邸である白川屋敷を 陸援隊の為に開けてくれた。

 京に居る勤王の志士達を収容した。内訳は土佐、水戸、三河、京都、肥後、薩摩、豊後、伊予、武蔵、対馬、 甲斐、備中、出羽、近江、伯耆、尾張、大和、河内などからの浪士であった。だだ、副隊長の人材が居ないので 龍馬に相談したら、田中顕助、那須盛馬を紹介した。二人とも土佐の郷士以下の身分であったが、後にすばらしい 活躍をした。

 龍馬の人を見る目はすごい。龍馬は目まぐるしく動き回っている。龍馬は幕府官僚の大目付永井主水正に逢うことに した。ここで龍馬は大政奉還の事を話した。永井は納得はしても、実行にはためらった。大政奉還をして徳川家を 残した方が戦もなく、丸く収まる旨を説いた。龍馬は万国公法を日本語に翻訳する仕事を文官及び秘書の長岡謙吉に 命じていた。印刷の手配も完了していて、翻訳が終わるのを待つばかりであった。

 これによって、日本国に計り知れない利益をもたらす。龍馬に悪い知らせが入った。長崎にいる海援隊の隊員が 英国人を殺害したと言う知らせであった。龍馬には頭の痛い出来事である。早速、大阪城の板倉老中の元へ出かけて いった。敵の巣窟へ。長崎で現場検証する事になって龍馬は長崎に向かう。

 長崎で長崎奉行の岩崎弥太郎らと、今後について話し合う。弥太郎は海援隊の会計も兼ねていたから、結局、 海援隊が殺したんではなかった。すぐに薩摩、長州、土佐の官僚達と逢って、大政奉還の準備に入った。 各官僚達は国へ帰って、兵隊の準備にかかった。汽船で京まで運ぶ手はずになっていた。

 おりょうも長崎に一人で置いていけなかったので長府藩の三吉慎蔵に頼んだ。いよいよ、クライマックスに差し 掛かった。


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