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坂本龍馬..No9

 これで、この会談は失敗に終わった。龍馬は別な方法で薩長同盟の案を考えて、桂小五郎に 話した。小五郎は大賛成した。早速、長崎の亀山社中に軍艦を買う指示を出した。この軍艦を薩摩藩の金で亀山社中が 買って、長州藩へ渡す。これで近代化させる。龍馬は、薩摩藩が今年不作だったので、長州の米を薩摩藩へ売る 事まで考えていた。

 事の次第を龍馬は京で知っている。この晩は寺田屋に泊まって、薩長連合が出来たら、おりょうさんを嫁に貰うこ とになった。とんぼ返りで、大阪、下関と目の廻る忙しさ。余談だが、この時代、日本には最大の浪人結社が 2つある。海援隊亀山社中、新撰組である。

 亀山社中は貿易、海上運輸、私設艦隊で倒幕を目的にしている。新撰組は佐幕派で自刃によるテロリストを主目的に している。対照的な浪人結社である。長州が買った軍艦が上海から長崎港に着いて繋留されていた。この船を下関ま で運ぶのに、薩摩藩の藩旗を掲げて運ぶ事にした。

 実際の所有者は長州藩、名義は薩摩藩、運用は土佐藩と一隻の船が薩長土が重なり合っている。京に西郷を訪ねて 来たと思えば、すぐ、下関へ行て小五郎と逢ったり、体が2つあっても足りぬ程の忙しさ。西郷は龍馬の行動が 一日遅れると、日本の歴史が一日遅れると思っている。

 長崎へ行って亀山社中の残務を整理して、長崎から下関を経て大阪へ向かった。関所が至る所にあって、大変だった。 ここで龍馬は大阪城へ行くと言い出したので、薩摩藩邸で留守居の木場伝内はびっくりした。そこで京の警備網の 事を調べるつもりであった。京では、新撰組が龍馬の来るのを待ちかまえていた。

 それでも、龍馬は京で薩長同盟を結ぶことに成功した。寺田屋に百数十人の新撰組が来て、龍馬は怪我をした。 しばらく怪我療養の為、薩摩の温泉へ行くことにした。勿論、おりょうを連れて、これが日本始まって以来の新婚旅行 である。この時、亀山社中を海援隊に変えるつもりでいた。この名前の由来は日本の国を海から応援する事だった。 新婚旅行が終わって、長崎に向かったのは、おりょうを長崎に降ろして、自分は馬関戦争が始まるから下関に 向かった。

 幕府艦隊と長州艦隊とが瀬戸内海で始まっている。長州大島が幕府艦隊に包囲されて取られた、高杉晋作は汽船に 乗って夜中に、この艦隊の中に潜り込んで、一斉射撃をした。幕府艦隊は慌てて、逃げた。第二次長州征伐は幕府の 敗色が濃かった。幕府は薩摩藩に協力してくれと行って来ても、裏で薩長同盟が結ばれているのを知らない。

 日本海から進んだ長州軍も連戦連勝で、瀬戸内海から進んだ長州軍が優勢で、九州上陸作戦である小倉城は長州軍に 落城させられた。瀬戸内海の制海権も長州軍に奪われ、屋台骨がぐらついて来た。龍馬は長州軍に味方していて、 幕府軍の弱さにとまどっていた。こんな弱い幕府なら、すぐ潰そうと思っていた。

 この時、心労からか、7月10日に将軍家茂が重体に陥った。同20日には病没してしまった。まだ、次の将軍も、 決まっていないのである。九州の諸藩は洋式軍隊を持っていても、誰も幕府の命令は聞く藩がない。


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