いよいよ、幕府の幕臣に引き渡す時が来た。観光丸と神戸学校を、ついでに大阪まで、
便乗させて貰った。入れ違いに、おりょう、お田鶴が来たけど、龍馬には会えなかった。江戸で閉門蟄居を命じられて
いる勝海舟は閉口していた。ところが、事情が一変して、大至急大阪へ向かうことになる。
再度勝海舟が活躍する場面が来る。龍馬は大阪薩摩藩邸で西郷に会おうとしていたが、多忙の為、なかなか
会えない。お田鶴は公家の三条氏を伴って長州へ亡命の手伝いをしてた。敗れた長州の高杉晋作はしきりと、
騎兵隊を作って走り回っていた。幕府は長州藩がまだ、内部でざわめいてるのを知っている。
完全に叩きのめそうと、フランスからドックが2つ、製鉄所が1つ、造船所3つも作る計画を進められている。
これも全部借金で、240万$という、途方もない金額である。今の幕府にはこれだけの金はない。中には勝海舟の
ように反対する人もいる。勝海舟は東南アジアの諸国が外国の資本が入って生血を吸い取られているのを、知ってい
る。
幕臣の中には、特定の国と密婚しても、幕府の経済力と軍事力を強化して、京都朝廷を家康時代の地位に落とし、
長州、薩摩、土佐、越前までも討伐しようと考えている。こんな事をされたら血で血を洗う結果になることは、
坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛などは知っている。
今の幕府の中心人物は小栗上野介である。人望はないが、知略、胆力、家柄など、この男が幕府を完全に背負ったら、
日本は滅びるだろう。幕府要人大久保一翁は言う。龍馬は私設艦隊の件で直接鹿児島へ行く。薩摩藩の汽船胡蝶丸に
のって。この船には薩摩藩家老小松帯刀、西郷隆盛が同乗した。
この時も龍馬同士全員を乗せていた。この連中で船を動かした。甲板、操船、機関の3部門に分けて。慶応元年
5月1日、龍馬の乗る薩摩藩汽船胡蝶丸は鹿児島湾に入り、錦江湾に碇を降ろした。西郷は龍馬にガラス工場や
旋盤工場などを見せた。この時、龍馬は薩摩と長州を同盟を結ばせる事を思いついた。
薩摩藩の高官達と会合して、帆船7800両を貰うことになったこの船で、稼いで蒸気船を買うことにした。
本拠地は長崎に置く事にした。船で長崎へ行って、まず、事務所の場所を探して、亀山と言う地名にちなんで、
亀山社中と付けた。もちろん龍馬は社長なんだけど、隊務は社長代行に関雄之助、海務は菅野覚兵衛、書記は陸奥陽之助に
頼んで、龍馬は薩長同盟の為、太宰府経由で長州に入った。
寝待ちの藤兵衛を連れていた。余談だが、慶応元年は、徳川幕府を始めた家康の250回忌に当たり、日光、
上野寛永寺、芝増上寺などで遠忌法要が営まれた。この席で第二次長州征伐の案が出た、一方長州では、すでに
高杉晋作のクーデター政府が確立しており、蘭医の大村益次郎を抜擢して、軍事の洋式化を急いでいた。
数日後に長府に入った。ここで龍馬は持病のマラリヤにかかって、数日逗留した。ここに、桂小五郎が訪ねてきて、
昔話に花を咲かせた。龍馬は事の重大を小五郎に話して、どうしても、薩摩と同盟を結んでほしい旨を話した。
中岡慎太郎と土佐藩の浪士だが、この時期に長州に居て、高杉晋作に協力していた。慎太郎も同じ考えだ。
後は西郷を長州へ連れていって、同盟を結ばせるだけである。ところが、西郷は船で下関の近くまで来てから
逢わないで、京へ行くと言い出した。
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