[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

坂本龍馬..No1

日本の歴史を変えた男・坂本龍馬。

坂本龍馬を書く前に、この土佐の国について書きます。


坂本家の家紋  戦国時代に、この土佐の国は長曽我部氏が治めていた。ところが、関ヶ原の戦いの時、長曽我部氏は 西軍すなわち石田三成の方についた。この時の家臣だった坂本氏。戦いは西軍が戦に負けたので、 家康に国を没収された。

 家臣だった坂本氏は郷士といって、百姓と武士の中間の位置に降ろされた。普段は百姓をしながら、田の畦に刀、 槍などを置いて、いざ、戦の時には刀を持って戦場に馳せ参じる仕組みになっている。この時に東軍の武将だった 山内一豊氏が土佐の国を治めることになった。この山内氏について、今だに語り継がれている伝説がある。

 豊臣秀吉の全盛の時、徳川家康が関東に封じられた時、押さえとして遠州の掛川城に入っていた。秀吉が死んで、 関ヶ原の合戦の時、山内氏はいち早く家康に掛川城を明け渡した。この当時、掛川城は5万石だった。これも、 夫人の知恵だと言われた。それ程、山内一豊の妻は頭がきれる人物だった。この妻の助言のおがげで、一豊は一挙に 土佐24万石に加増されて入国した。惨めなのは長曽我部の旧臣達だった。

 野に追われて郷士となった。山内氏が連れてきた家臣は上士といい、同じ人間でも、同席もしない、旅先では 同じ宿にも泊まらない程、蔑まれていた。それでも、まだ、坂本氏は同じ郷士でも、実家が商いをしていたので、 知名は阿波にまで聞こえる程の御大尽だ。その家に生まれた竜馬はその点、幸せだったのかもしれない竜馬には 兄・権平、姉・乙女がいる。

 この坂本家から少し離れた所に山内一豊の家老福岡宮内の屋敷がある。家老の妹に、名前はお田鶴と言う。 そのお田鶴は竜馬のことが好きだった。郷士の倅と家老の姫では、所詮、無理な話だけど、この姫は死ぬまで竜馬を 思いながら独り身だった。広大な屋敷の一角に学問所を建ててもらい、老女一人を相手に暮らしていて婚期も遅れた。 福岡家と坂本家は、たんに藩の家老と町郷士だけではなく、藩の財政が不如意の場合には、福岡家では坂本家の 本家の才谷屋八郎兵衛に金を借りに来る事が多い。

ここで、坂本家の家系を見てみよう。

 家祖は琵琶湖を馬で渡った明智左馬之助光春と言われている。明智光秀滅亡後、光春の庶子太郎五郎が土佐に 逃れて長岡才谷村に住み、長祖我部家の一領具足になった。一領具足とは、先ほど書いた通り、平時は田の畦に 槍をつきたて、それに、具足を結んで、陣触れの貝が鳴れば、そのまま槍を握り、馬一頭を駆って戦場に出ていく 者を言う。

 寛文年間、4代八兵衛守之が高知本町筋3丁目で酒造業を創業して栄えた。5代、6代と巨万の富を積み、 7代八平直海の時に家業を弟に譲って、郷士の格を買って、武士に戻った。領地は197石、禄高は10石4斗で ある。本家と隣り合わせになっている。坂本は土佐には珍しい名前で、家祖が琵琶湖の坂本城に在城していたことに ちなんだもので、家紋は明智の桔梗である。ちなみに、龍馬と言う名前の由来は、生まれてきた時に、背中に馬の 鬣(たてがみ)のように、産毛が生えていたから。

龍馬No.2

龍馬・MENU

TOP−画面