祖先溝江家の年表

溝江館跡 溝江館落城の図
金津町の溝江館跡 溝江館落城の図


溝江氏の年表
  

年 号

紀 元

主  な  出  来  事

天平勝宝元

 746

溝江庄が東大寺領荘園となる

天平神護2

 766

五百原堤の用水路開堀を願い出る(東南院文書)

延喜7

 907

大溝神社が式内社に列せられ、大溝神に従四位が贈られる(越前国惣神分)

天暦4

 950

溝江庄田一二三町歩(東大寺寺田帳)

康和2

1100

7月、河口庄溝江郷が奈良興福寺の庄園となる(大乗院記)この頃十郷用水がつくられる

正応元

1288

坪江庄が奈良の春日神社に寄進される

永仁6

1298

三笠山から春日の神霊が下向し、合祀される(春日縁起)

応長2

1311

2月5日条に「溝江郷、溝江氏」の名が初見される(大乗院記)

延元元

1336

朝倉氏が但馬から越前へ入国する

永徳2

1382

小布施義氏の本願により御簾尾の龍沢寺が創建され、梅山禅師が開山となる。

応永元

1394

地頭溝江某が山城国鳩ケ峰から弓矢八幡の神像を勧請して坂ノ下の八幡神社を創建する(∧幡神社々記)

応永21

1414

山荒居の代官朝倉遠江入道が大乗院に願出て溝江郷の代官となる

応仁元

1467

応仁の乱が起る

文明3

1471

朝倉敏景、越前国守護として一乗谷城主となる

文明12

1480

8月3日に「朝倉孫右衛門(氏景)持分城、金津城(河口内溝江也)、兵庫城(河口之内)、新庄城(河口之内)」と見える(大乗院記)

永正3

1506

7月、溝江氏等の諸将、朝倉軍に従って、一向一揆勢三〇万を九頭龍河畔に撃退する

永正4

1507

7月28日、帝釈堂口一揆の戦

永禄10

1567

3月、溝江氏、朝倉義景の命により、魚住・山崎の両将と共に本庄の堀江氏を攻める(朝倉始末記)

元亀元

1570

5月、加賀の守護富樫介泰俊、一向一揆の難を逃れて金津城の溝江館に身を寄せる(昔日北‥華録・亀の尾の記)

天正元

1573

8月、溝江左馬充が刀祢坂の戦で戦死する(朝倉始末記)

天正元

1573

8月、織田信長越前に攻め入り、朝倉義景自刃して滅ぶ

天正2

1574

2月19日、金津城が一向一揆勢二余万に囲まれて落城、溝江・富樫一族が自刃する(始末記)

天正2

1574

長氏の長子長氏がひとり館を脱出する。(昔日北華録・亀の尾の記)

天正3

1575

8月、織田信長が一向一揆討伐のため再び越前に進攻、柴田勝家北ノ庄城主となる

天正9

1581

大炊助長氏、勝家の軍に従って上杉謙信の魚津城を囲む。(溝江文書)

年不詳

大炊助長氏が金津城を再興する。

天正10

1582

5月、羽柴秀吉、高松城水攻めの陣中から戦況を知らせる(溝江文書、秀吉書状)

天正10

1582

6月2日、本能寺の変が起る。

天正11

1583

4月、柴田勝家、秀吉に攻められ北ノ庄落城。

天正11

1583

堀秀政、北ノ庄城主となる。

天正13

1585

秀吉、関白となり、「豊臣」の姓を賜わる。

文禄元

1592

2月、秀吉の朝鮮征伐(文禄の役)が起る。長氏、筑前の名護屋に駐屯し、朝鮮征伐の後備えとなる。(溝江文書)

慶長2

1597

秀吉、朝鮮を再征、慶長の役起る。

慶長3

1598

6月、小早川秀秋(中納言)、筑前から越前北の庄へ移封にないり、大炊助長氏その輔佐役となる。(溝江文書)

慶長3

1598

7月、大炊助長氏、越前坪江郷浜坂浦を検地、安養院へ除地状を出す。

慶長3

1598

8月5日、長氏、豊臣秀吉から一万七百七十三石知行の判物を受ける。

慶長3

1598

8月18日、秀吉、伏見城で没す。齢六十三。

慶長4

1599

長氏、3月1日より、大坂城堀普請出動への命を受ける。

慶長4

1599

10月、長氏、長子彦三郎長晴の行未を案じ、奉行増田長盛に頼んで、徳川家康へお目通りをさせる。(溝江文書)

慶長5

1600

2月15日、大炊助長氏、京都の深草にて没す。(溝江家系図)年四十九?

慶長5

1600

4月、彦三郎長晴、所領一万七百七十三石の領知状を受けて金津城主となる。

慶長5

1600

長晴、西軍に応じて8月挙兵、9月18日小松ノ関で前田利長の軍門に降る。(家系図、外)

慶長5

1600

9月15日、関ケ原の決戦が行われ、西軍が大敗する。

慶長5

1600

長晴、徳川家康から所領を没収され、浪人となり京都へ出る。

慶長19

1614

10月、大坂冬の陣が起る。

元和元

1615

4月、大坂夏の陣が起り、5月大坂城落城、豊臣氏亡ぶ。

元和2

1616

長晴、井伊家の客分となり、江州坂田郡箕浦村に居住する。

寛永5

1628

長晴、彦根藩主井伊直孝に禄五百石で召し抱えられ、彦根藩士となり、彦根城下に移る(家系図)

正保3

1646

5月10日、彦三郎、長晴卒し、彦根の妙源寺に葬られる。

正保3

1646

その子長保家を継ぎ、8月弟五兵衛に二百石を分知する。

延宝5

1677

1月、長保卒去、長継家を継ぎ御使番役を勤める。

享保4

1719

1月、長継卒去、禄五十石を加増される。(三百五十石)


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